2015年11月27日金曜日
『韓非子』(抄)・説難篇
〔説得することの難しさ〕
およそ、説得の難しさは、己の知によって説くことが難しいのではない。また、己の弁舌で己の意を明らかにすることが難しいのではない。また、己が臆して弁を尽くすことが難しいのではない。
およそ、説得の難しさは、相手の心を知って、自分の説をそれに一致させることにある。相手が名声を欲しているとする。しかるに、自分が利益のこと説けば、〔高尚な名声を欲している者は、利益を賤しむものであるから、〕下品で卑賤な者に説いていると見なされ、必ず棄てて遠ざけられるであろう。相手が利益を欲しているとする。しかるに、自分が名声のことを説けば、〔利益を欲している者は、高尚な名声など迂遠なものは求めないものであるから、〕気が利かず実情に疎いと見なされ、必ず受け入れられないであろう。
相手が裏では利益を欲していて、表では名声を欲しているとする。しかるに、自分が名声のことを説けば、表では受け入れながら、裏では疎んぜられ、利益のことを説けば、裏ではその言は用いられて(意見を盗まれて)、表ではその身は棄てられるであろう。このことは、どうしても察していなければならない。
そもそも、事は秘密が保たれて成功し、謀議は漏洩して失敗する。まだ必ずしも自分が君主の秘密を漏らそうとするわけではなくとも、言葉が君主の隠していることに及んでしまうことがある。このような者は身が危い。君主が表でははある命令を出しており、裏では他の事をもくろんでいるとする。説く者がただ表の命令を知るだけではなく、また裏の事を知っていることがある。このような者は身が危い。
事柄を謀って君主の心に一致したとする。別の者がこれを君主の言葉の端々から知ったとしても、事が外に漏れれば、必ず漏らしたのは〔別の者ではなく〕謀った者だとされるだろう。このような者は身が危い。君主の恩沢がまだ厚くないのに、説く者が知恵を尽くして説いたとする。その説が行われて功があっても、〔疎遠な者がしたことにすぎないと〕その徳は忘れられ、説が行われず誤りがあれば、疑われる。このような者は身が危い。
貴人に誤りがあり、説く者が明らかに礼義を述べて、その悪を誹ったとする。このような者は〔貴人の怒りに触れて〕身が危い。貴人がある計を思いつき、それを自らの功にしようと欲しているとき、説く者がその計を知っていたとする。このような者は、〔功を奪おうとしたと疑われ、〕身が危い。君主ができないことを強いてさせようとし、できないことを強いて止めようとしたとする。このような者は〔煙たがられて〕身が危い。
故に、君主に重臣のことを論ずれば、君主は〔間接的に〕己を諌めると見なし、君主に賤しい者のことを論ずれば、君主は説く者が下々に権力を押し付けていると見なす。君主の愛する者を論ずれば、君主は説く者が彼らを足場にしようとしていると見なし、君主の憎む者を論ずれば、君主は説く者が己の心を試そうとしていると見なす。
説く者が自説を省略して説けば、君主は不知と見なして退け、すみずみまで詳しく論ずれば、君主は知識が広いだけと見なして棄てる。事柄を略して大意を述べれば、君主は説く者が臆病で説を尽くせないといい、広く事を慮って大きい話をすれば、素養がなく傲慢だという。これが説得の難しさであり、知っておかねばならないことである。
〔説得の要点〕およそ、説得の要点は、相手の誇ることを飾って、恥じることを消すことにある。相手に私的な欲求があるときは、必ず大義名分を示してそれを進める。君主が心で挫けていても、止めることができないことがある。このとき、説く者は君主のためにその美点を飾ってそれをしないことを非とする。君主の心に理想はあるが、実際はできないことがある。このとき、説く者は君主のために理想の誤りを挙げて、その欠点を示し、それを行わないことを是とする。
君主が智能を誇っているならば、そのために他の同類の事柄を挙げ、それを支える地盤を作り、こちらの説が受け入れられやすいようにし、偽って知らないふりをして、君主の智を支える。他国との共存についての言を受け入れられたいと欲するならば、必ず美名によってその意義を明らかにし、密かにそれが君主の私利に合致することを示すのがよい。自国の危害についての事を述べようと欲するならば、その欠点を明らかにして、密かにそれが君主の私患に合致することを示すのがよい。
君主と行いを同じくする他人がいる者を誉め(お世辞と疑われないようにする)、君主と計を同じくする他事を称える。君主と欠点を同じくする者がおれば、必ず大いに傷にならないと飾るのがよい。君主と失敗を同じくする者がおれば、必ず明らかに過失にならないことを飾るのがよい。
君主が自ら力を多とすれば、その欠点を指摘してはならない。自ら決断を勇としていれば、その短所に言及して怒らせてはならない。自ら計を智としていれば、失敗を告げて窮地に追いつめてはならない。大意は君主に逆らうことがなく、辞言は言いよどむことがなく、そうしてはじめて、智弁を極め尽くすのがよい。これが、君主に親近されて疑われず、辞を尽くすことができる方法である。
伊イン(殷の湯王の宰相)が料理人となり、百里ケイ(秦の穆公の大臣)が奴隷となったのは、みな君主を求めた方法であった。この二人はみな聖人である。しかし、身を役して君主に進むこと、このように身を汚さないわけにはいかなかった。今、己の身を料理人や奴隷のように落としたとしても、それで意見が聴用されて世を救うことができるのであれば、これは能士の恥じることではない(故に、君主に親愛されるまでは、迎合しても止むを得ない)。
さて、日が過ぎて年が経ち、深い謀をしても疑われず、論争しても罰せられないようになれば、利害を明らかにし、功績を極め、是非を指摘して君主の身を飾り、君臣の関係を正す。これが説得の成功である。
〔知ったことに処するのが難しい〕
昔、鄭の武公が胡を伐とうとした。故に、まず自分の娘を胡の君に娶せ、その心を喜ばせた。そして、群臣に問うた、「わたしは兵を用いようとしている、どこを伐てばよいだろうか」と。大夫の関其思あ答えた、「胡を伐つべきでありましょう」と。武公は怒って関其思を殺していった、「胡は兄弟の国である。おまえがこれを伐てと言うのはどういうわけか」と。胡の君はこれを聞き、鄭が己に親しんでいると思い、ついに鄭の備えを廃した。鄭人は胡を襲って、これを取った。
宋に富人がいた。雨が降って垣が壊れた。その子はいった、「垣を築かなければ必ず盗みが入るでしょう」と。その隣人の老人もまたそう言った。夜になって、果たして、盗みが入り、大いに財を失った。富人の家では、はなはだその子を〔先見性のある〕智者として、隣人の老人を〔盗んだのではないかと〕疑った。
この二人(関其思と隣人の老人)の説くことはみな当たっていた。しかし、重いときは殺され、軽いときは疑われた。すなわち、知ることが難しいのではなく、知ったことに処することが、難しいのである。故に、ギョウ朝(秦の賢人)の言は当たっていた。そして、晋では聖人とされて秦では殺された。このことはどうしても察しなければならない。
〔君主の愛憎を察す〕昔、弥子瑕は衛君に寵愛されていた。衛国の法では、密かに君の車に乗った者は、足斬りにされた。弥子瑕の母が病気になった。ある人が密かに夜に行って弥子瑕に告げた。弥子は偽って君の車に乗って見舞った。君はそれを聞いて弥子瑕を賢としていった、「孝なことだなあ。母の為に、足斬りの刑を忘れたのだ」と。
別の日、弥子瑕は君と果樹園に遊び、桃を食べて美味かったので、食べ尽くさずにその半分を君に食べさせた。君はいった、「わたしを愛しているのだなあ。食べたいのを忘れて、寡人に食べさせてくれたのだ」と。
弥子は色が衰え愛が弛むようになると、君に罪を犯した。君はいった、「こやつは、かつて、偽ってわたしの車に乗り、また、かつて、わたしに食べかけの桃を食べさせた」と。故に、弥子の行いは初めと変わっていないのに、先に賢とされた理由で、後に罪を得たのは、愛憎が変わったからである。
故に、君主に寵愛されていれば、智が当たって親しまれるが、君主に憎悪されていれば、智は当たらず、罰せられて遠ざけられる。故に、諫言・談論の士は、愛憎の姿を明らかにしてはじめて、説かなければならない。
〔逆鱗に触れないようにせよ〕
そもそも、龍という動物は、柔順でその背に乗ることができる。しかし、咽喉もとには直径一尺の逆鱗がある。もし、これに触れる者があれば、龍は必ずその人を殺す。君主にも、また逆鱗がある。説く者が君主の逆鱗に触れないようにすることができれば、説得の奥義を得たということができよう。
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