2015年11月27日金曜日
売りがある寺院は破壊から一大観光スポットへ
売りがある寺院は破壊から一大観光スポットへ
中国の仏教は、宋・明代以後、衰退していく。読者も遣唐使以降、あまり中国仏教のイメージがないのではないだろうか。では、現在、中国の仏教はどうなっているのだろうか? ある意味では繁栄している。その一例として、1987年に仏舎利(釈迦の遺骨)が出土した古刹、法門寺の現状を見ていこう。
法門寺の歴史は1700年ほど前にさかのぼる。南北朝時代の北周以前には阿育王寺と呼ばれていたが、前述した北周の武帝の廃仏によって、一度廃毀された。隋代に再建され、618年に寺の名を法門寺と改める。その後も前述したような幾度もの法難をくぐりぬけてきて、20世紀を迎えた。そこで最大の試練を迎える。共産主義国家・中華人民共和国の誕生。そして、さらに壊滅的打撃を与えたのが文化大革命である。
「宗教はアヘン」という中国共産党が政権を奪ってから、政府は寺を壊し経典を燃やし、僧侶や尼を強制的に還俗させたほか、他の宗教施設の破壊もずっと止めなかった。60年代には、既に中国の宗教施設は壊滅的状況であった。宗教の自由を求める人達は、台湾や、英国統治下の香港に脱出して行ったので、中国仏教の伝統は、大陸よりも、台湾や、香港で維持されてきたと言える。そして文化大革命である。
念のため、文化大革命について簡単に説明しておこう。正式にはプロレタリア文化大革命。略称「文革」。中華人民共和国で1966年から1977年まで続いた「封建的文化、資本主義文化を批判し、新しく社会主義文化を創生しよう」という名目で行われた改革運動である。しかし、その内実は、政権中枢から失脚していた毛沢東が、劉少奇からの政権奪還を目的とした大規模な権力闘争であり、死者は一千万人を超え、リンチを受けたり冤罪で投獄されたりといった被害者は一億人に及んだと言われる、世界史上でも例のないおぞましい大粛清であった。
文革時、宗教は「破四旧」(思想、文化、風俗、習慣の破壊)のスローガンの下、徹底的に弾圧、破壊された。例えば、中国最初の佛教寺院は68年に建立された洛陽にある白馬寺であるが、中国共産党は革命をすると言って農民たちを白馬寺に連れて行き、千年前の遼の時代に土で造られた十八羅漢の像を壊し、二千年前にインドの僧侶が持ってきた貝葉経を燃やしただけではなく、稀世の宝とも呼ばれる玉の馬をもばらばらに壊した。法門寺も当然、破壊の対象とされた。時の住職であった良卿法師は、宝塔や伽藍を守ろうとして寺院内の真身宝塔前で抗議の焼身自殺をするが、寺は破壊されその他の僧侶らは殺戮された。
狂気の文革が終わった後、寺院は文化財として修復されるようになる。そして1987年、法門寺にとって願ってもない天佑が訪れる。真身宝塔の地下にあった地下宮殿が開かれ、稠密な彫金を施した幾重もの宝函に収められた4粒の仏舎利などの大量の貴重な文物が出土したのである。その後は、国家主導で一大観光スポットとして、建築開発が進められた。一大看板の仏舎利は、現在は2009年に新しく西隣に建立された新法門寺に納められ、毎日夕方になると自動的に地下の格納庫に収納されるシステムで大切に扱われている。この新法門寺は中国最大級の現代建築物である。広大な敷地に近代的な建物群、金ピカな仏像群に現代的オブジェ。お目当ての仏舎利塔は超巨大な現代的門をいくつもくぐったはるか先にあり、そこまでの足として有料電動カーが用意されている。下はコンクリート舗装なので、暑い季節はこの電動カーが観光客にはありがたいであろう。現在、法門寺はホームページを開設しており、中国語だけでなく、英語・ハングル、そして日本語のページもある。金ピカな仏舎利塔がトップに来るホームページには、「会社案内」の文字も見える。そう、現代中国仏教は、観光会社として一大発展を遂げているのである。
確かに昔の文物はある。しかし、それは先に見た仏教寺院のように、形骸に過ぎない。精神は断たれているのである。人によっては「中国は私たち日本人の先生なんだから」などと言うが、それは隋にしろ唐にしろ、昔のその時点での話である。日本の方がむしろ学んだものを血肉化して生かしている。
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